あした病院へお見舞いに行ってきます。
とてもお世話になった方です。
癌を患っており、分かったときには手遅れだったようです。
先週も見舞いに行きましたが、「あと何回会えるか?」そう思うと、胸が痛みます。
でもその方は見舞いに行くと、満面の笑みで迎えてくれるのです。
「来てくれたの!」
そして、私や私の家族の話を楽しそうに聞いてくれます。
体力の関係もあるので、面会時間は長くは取れませんが、帰り間際には、
「会えてうれしいよ」、「気をつけて帰ってね」 そう気遣ってくれます。
その方は あと何回、 朝 を迎えることが出来るでしょうか。
私たちは、夜ベッドに入ったら「朝が訪れて当然」だと思っています。
明日は必ず訪れると思っています。
「明日は来ないかも知れない」 そう思ったら、今日は昨日までと同じ一日でしょうか。
昨日から続く、日々の延長線上にある「消化される一日」でしょうか?
今日は、昨日亡くなった方々にとって「どうしても迎えたい1日」だった
今日は、 昨日亡くなった方々にとって「どうしても迎えたい1日」だったのです。
「何が何でも生きたかった」1日なんです。
「大切な人と過ごしたかった」1日なんです。
それなのに、
「今日は雨が降っているから」
「少し寝不足だから」
「なんとなくやる気がでない」
「暇なんだけどねぇ」
1日をなんとなく消化している。
昨日亡くなった方々がみたらどう思うでしょうか。
「今日」は神様がくれたプレゼント
あなたには、神様から貴重な「今日」をプレゼントされました。
さぁ あなたは、その大切な1日をどう過ごしますか?