ホリエモンこと、堀江貴文さんがツイッターで、
「寿司職人が何年も修行するのはバカ」と投稿したら大炎上した。
<出典> 多動力 著者:堀江貴文 発行所:幻冬舎
多くの日本人の感覚からしたら、反発されるでしょうね。
私も、日本の製造業に携わっていて、物作りの難しさは多少なりとも理解しているつもりです。
特に日本の物作りを支える、技能の継承には黄色信号が灯っています。
- つらい修行を好んでする若者が居なくなった。
- 若者は楽な仕事を好む
- そもそも若者の数が足りない
- その他
色々な問題点が上がっています。
上の問題点を読んで、そうだそうだ!と思う方は、多くいらっしゃると思います。
でも、その多くの方は若者世代を過ぎた方では無いでしょうか。
私も、若者世代を過ぎました。
仮に意識改革が実現して、今の若者たちが「つらい修行を好んでする」ようになったら、この先10年、20年後の日本は安泰でしょうか?
「仕事は先輩から盗め」 から 「誰でも出来るように」 そして ノウハウはインターネットでいつでも取得出来る
私が会社に勤めだした頃は、「仕事は先輩から盗むもの」から変化して、「積極的に先輩が後輩に指導する」に変わる過渡期でした。
その後、「標準化」して世界中の誰もが同じ品質のものを生み出せる事。 が大切となりました。(まだ、ノウハウは囲い込み)
いまでは、ノウハウはインターネットでいつでもどこでも、取得することが出来ます。
日本人はコツコツと努力する姿に感動します。
物作りを10年かけて習得する。 素晴らしい事だと私自身も思います。
しかし、ノウハウはインターネットで世界中に共有されていたとしたらどうでしょうか。
同じ仕事を10年かけて、世界中の多の国々と同レベルで習得したら、10年後にどうなっているのでしょうか。
日本は高コストです。(このままのレベルを10年後維持していれば) 他の国々と同じ結果が出る事が分かっているのなら、
今すぐに習得をやめるか、10年では無くて、5年、思い切って1年で習得するすべを真剣に考えるべきでしょう。
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それは、製造業の話でしょ? 寿司は芸術。 伝統工芸のようなものです。
そうですよね。 おいしいものを食べるのは大好きです。
心からおいしいと思えるものに出会えるのなら、多少高くても足を運びます。(私のレベルでは1食2万円程度が限界か。。。)
そのおいしいと思う要素に、「一流のシェフだから」、「長年修行を積んだ職人が作った料理だから」と希少性や、店舗の雰囲気なども含まれます。
高いお金を払ったから。「この料理はおいしいはずだ」と自己暗示をかけることもあったりして。
自分では認めたくありませんが、要は気持ちの部分が大きいのでしょう。
寿司は芸術ならば、修行年数よりも作り手のセンスが最重要
芸術と言い切るなら、緻密な作業が出来る出来ないでは無くて、感性による部分が大きくなりますね。
伝統工芸のようなものなら、時代と共に変化して当然?
昔、テレビで伝統工芸職人にインタビューした番組で興味を引かれた言葉。
「伝統工芸は、その時代時代に合わせて変化し、生き延びて来たから伝統工芸として今も残っている」
「今までのやり方に固執して変わらなければ、次の時代に残すことは出来ない」
「寿司職人が何年も修行するのはバカ」
これが正しいのか、間違っているのか、私は判断しません。
ただ、やりたいことが沢山あります。
一つ一つの事を10年かけて修行していては、人生100年生きても、200年生きても時間が足りません。
やりたいことを最短で実現するには? 自分の常識を疑って考え直したいと思います。