〇〇だから仕方ない。 だってXXだったから。
そういって立ち止まっていたら、人生の終着駅にいつの間にか到着していた。 そんなことにもなりかねません。
人によって乗っている人生の列車は異なります。
特急列車に乗っている人。 各駅停車に乗っている人。 通勤快速に乗っている人。
それぞれだと思います。
電車の中でさえ目標に向かって走っている人。
シートに座ってスマホを漫然といじっている人。
(電車でこのページを読んでいる人は、何かに気づき始めた人なのでしょう)
居眠りしている人。
乗り換える駅を探している人。
すべてに共通なのが、自分が立ち止まっていても、居眠りしていても、着実に終着駅に向かって動いているってこと。
人生は何年生きたかでは無く、何が出来たかで価値が決まるとしたら、座っていられない。
- 今乗っている列車はどこに向かっているのだろうか。
- 自分の意思で、乗る列車を決めただろうか?
- 自分でチケットを買っただろうか?
- みんなが乗るから、なんとなく乗った?
- 混んでる車両、空いている車両。 出発が早い車両、遅い車両。
なんとなく乗った列車に乗っていれば、自分が満足できる場所に連れて行ってくれるのだろうか。
常識ではそれは無いと分かっている。
でも、自分の乗った列車がどこに向かっているのか気にもしていない。
ごく近い見える現実にしか反応していない。
職場に向かう通勤電車の発車時刻は気になります。 駅に向かって必死な形相で走っているサラリーマン(OL)らしき人々。 その電車に乗らなければ遅刻してしまう。
失うものが見えています。 だからあせって走っているのです。
一歩引いて考えてみましょう。
はたしてその電車は、そのサラリーマン(OL)の希望した終着駅に向かっているのでしょうか。
反対方向にむかっていたりして。
自分の行きたい反対方向行きの列車に乗るために、必死の形相で走っている。
とても合理的ではありませんね。
やりたいことなんて、やってみて初めて分かる。
確かにそうだと思います。
やりたいことだと思ってやってみたけど、突き詰めてみたら自分の想像したものと違っていた。
やってみて、経験してみて、まして知らなければ やりたいことかどうかも、やりたいことの存在も分かりません。
進むべき道が分からないなら、「えいやっ!」と乗る列車を決めて乗ってしまうのも手です。
人生は有限ですから、どの列車にも乗らずに、立ち止まることは許されません。
立ち止まるにしても、いずれかの列車に乗り込むことが強制されるのですから。
目標とする地点まで、特急グリーン車に乗って苦労せずに向かっている恵まれた人
うらやましいですね。
私が乗った車両は、どうやらローカル線の各駅停車だったようです。 でも、各駅停車のおかげで「途中下車の旅」も楽しむことができて、人生に厚みが出たと自負しています。
最短であること、最速であることが唯一の価値であれば、負け組かも知れません。
ただ遠回りしたからこそ、選べる選択肢も増えているはずです。
目標とする到着点もひょっとしたら、複数見つけられるかも知れません。
目標地点に到着する為の手段が列車だけでは無いことにも気づきました。
ローカル線の終着駅が、他の路線への乗り継ぎが無い駅だったら。 バスに乗っても良いのです。 引き返したって良いじゃ無いですか。
ある地点から、新幹線に乗れるかも知れませんし、飛行機に乗って別の国(別の価値観)に旅立っても良いのです。
今の自分がどこに向かいたいのか、今乗っている列車がその方向に向かっているのか。 考えることが一番重要だと思います。
皆さん、なりたい自分になりましょう。